「『KY』という言葉の普及」である。
数年前から流行しはじめ、
今やどの世代でも当たり前のように
さまざまな場面で使うようになったこの言葉。
知っての通り「空気読めない」の略語だが、
近年、この「空気」という言葉だけで
とある意思決定を軽々しく強いる風潮が強まっている気がする。
たとえばこんなケース。
A君が次の行動を迷っている時に
A君の周囲の集団が、「KYだな~」と言葉を発する。
この場合、その集団がA君に対して
「Aよ。俺らが【GOOD】と思うことを察して、実行しろ。」
の意図を投げかけることになるのであるが、問題が一つ。
それが本当に【GOOD】であるのかどうかをA君に確認・検証させていないのである。
また、強いている集団側も実は本当にそれが【GOOD】なのかどうか
あまり考えずに「KY」の一言だけで、事を片づけてしまおうというケースも多く見受けられる。
「KY」という語調の軽々しさもあって、安直にみんながノリで動いてしまう点もタチが悪い。
つまり「空気」という謎の第3者を使って
「もうメンドイから、周りがいいと思うことをやれよ。」という形の
【思考放棄】を促しているのだ。
「KY」という言葉を聞く方だけでなく、言う方も。
仕事を例に取ると、これがどんな問題を生むか?
俗に言う「YESマン」しか生まれなくなるのである。
いつも周囲の顔を伺って、周りがOKと思うことをやる。
そこには自分の意志は介在しない。
そんな単なる「作業者」が生まれる。
これでは一向に仕事ができるようにはならない。
同時に、指示を振って行く側も考えが浅くなる可能性が出てくる。
ホント、「空気」君の判断がどれだけエライものか怪しいものである。
社会経験があれば、誰でもわかるように
社会に求められる社会人は「自分で考え、周囲の判断を聞き・すり合わせ、行動を決断出来る人間」だと少なくても自分は思う。
「KY」という言葉を耳にしたとき、
「『空気』君がどれだけ正しいものか?」を考える必要性を、
これからの教育では教えていきたい。
周りに迎合する”YES only”でもダメ。
周りに反発する”NO only”でもダメ。
大切なのは”Which is better?”というquestionを持つことかと。